服装と持ち物について
危険のともなう山城歩きに出かけるのは気が引けるご時世ということもあって新しいネタもないので、装備の話でもしようかと思います。80ほどの山城しか歩いていない、つたない経験をもとに考えたことですが、参考にしていただければ。
登城の難易度で装備も変わってきます
難易度をおおまかにA〜Cの3段階に分けてみます。特に足回りが変わってくると思います。
A 観光地としてしっかり整備されている城跡。駐車場もトイレも整備されているような場所です。歩きやすい靴と服装なら何でも良いでしょう。
B 観光地とまでは行かないけれど地元である程度整備している城跡。一見はただの山だけれど、わかりやすい登路が付けてあって、地元の教育委員会や有志が看板や標柱を立てているようなところです。周辺の山野と合わせてトレッキングコースの一部になっていることもあります。規模にもよりますが、日帰り登山のつもりで用意していけば間違いないでしょう。足回りはトレッキングシューズや長靴で。
C 地元の人にも忘れられているような草木に埋もれた城跡。登路も定かではありません。藪を漕ぐのは当たり前、場合によってはただの斜面を直登したり、トラバースしたりすることもあります。雑誌でいうと『山と渓谷』ではなく『Fielder』のジャンルです。林業や狩猟に携わる方の格好を参考にします。
ここではC寄りのBとCを歩く際の装備について説明します。
靴
まずは靴。林業や狩猟に携わる人の意見をネットでいろいろ読んでみたところ、地下足袋やスパイク付きの長靴などがよく使われていますが、一般的なトレッキングシューズを選ぶ方も多い印象です。
私はそこそこしっかりしたトレッキングシューズをはいています。幅広な足なもんでSIRIOのP.F.440というおそらく日本でいちばんワイズの大きい靴を使っています。まあ、ここまでの靴はいらないなと思うことがほとんどですが、安心感が違います。
服装
汗っかきなので汗冷えを防ぐために吸水速乾性のあるアンダーウェア(私はモンベルのジオライン)を着て、この上にちょっと厚手のソフトシェル(私はモンベルのトレールアクションパーカかノマドジャケット)を1枚羽織れば、真冬の戸隠でも動き回っているかぎりはちょうどいい温かさです。あとは休憩時の防寒用にウィンドブレーカーか薄手のダウンをリュックに詰めていきます。
手袋もしていきましょう。場所によっては四つんばいのような状態で上り下りすることもあるので、防寒の他に手の保護の意味もあります。そんな使い方ですぐにボロボロになるので、ホームセンターで買える豚革の手袋を愛用しています。
持ち物
バックパックに加えて、よく使う物を入れるサコッシュを提げていきます。中身は本格的な日帰り登山を想定しています。山の中で過ごすのは長くて4〜5時間で、レスキューキットなど一度も使ったことのない物も多いのですが、道に迷いやすい山林を歩くので用心に用心を重ねています。
サコッシュに入れている物
- コンパス:プレートコンパスで地図を読むのも楽しいのですが、基本的には方角がわかればいいので、主にオリエンテーリング用のシンプルな物をサコッシュにぶら下げています。
- 紙の地図。基本的にはiPhoneの登山用GPSアプリ(私は「ジオグラフィカ」)を頼りにしていますが、広い範囲を一度に眺められることもあって、ときどき広げています。iPhoneが使えなくなる可能性もありますし。
地図は国土地理院の地形図を印刷していきます。地図プリというサイトで磁北線の入った地図を出力できます。MacでしたらTrailnoteというソフトが便利です。Windowsではカシミール3Dがよく使われているようですが、まだ触ったことがないので、こんど試し見てみたいと思います。
- テープ:道のわかりにくい山林を歩く際は退路を確保しておくことが重要です。来た道を迷わず引き返せるよう、木の枝に赤いテープなどを垂らして目印にして、回収しながら帰ることがあります。
- 熊鈴:サコッシュにぶら下げています。幸い野生動物に正面から出くわしたことはないのですが、フンはよく見かけます。
- 野帳と鉛筆:アウトドアでのメモの定番ですね。
リュックに入れている物
- 水:飲用とけがをしたときの洗浄用。500ミリリットルのプラボトルを2本。だいたい1本余りますが。
- 保温ボトルに入れたお湯:カップラーメン用とコーヒー用。シングルバーナーを持っていったこともありますが、なにしろ枯れ葉と枯れ木が積もった場所なので、山火事が怖くてやめました。
- カップラーメン
- 食器(先割れスプーンとマグカップ)
- ミニテーブル:ラーメンを食べるときに使います。
- ヘッドランプ:道に迷っているうち暗くなってしまったら遭難へ一直線です。冬場なら私は午後3時くらいには下山したいと考えながら行動していますが、何が起こるかわかりませんから。
- ファーストエイドキット:ガーゼや薬、テープ、ミニハサミなど。エマージェンシーシートとカイロも一応、入れてあります。
- 手ぬぐい:ジャマにもならないので何本か持っていきます。気が向いたら帰り道に日帰り温泉に寄ることもできます。
- モバイルバッテリー:写真を撮ったり、GPSを使ったりとiPhoneをよく使うので、これも念のために。
これらに加えて首からiPhoneを提げています。デジカメを別に持っていたこともあるのですが、写真に位置情報を付けられるのが便利だし、広角でしか撮影しないので、iPhoneで必要十分との判断にいたりました。
あとは、あまり斜面を這い上るような場面がなければトレッキングポールもよく使います。胸を張った状態を保つことができるので、気分良く歩けます。
信濃の山城を歩くために参考にしている本
ちょこちょこと山城探索はしているのですが、ネットにない情報を補足するというこのブログの趣旨に合うようなところには行けていないので、図書館の蔵書検索サイト「カーリル」で、普段参考にしている本をまとめてご紹介しました。山城と直接は関係ありませんが『信州山歩き地図 里山編』がおすすめです。
猿丸城(長野県長野市戸隠猿丸)
猿丸太夫の伝説地で、途中に焼き場の跡や墳墓らしき物もあり興味深い土地ですが、城跡までのルートが分かりにくく、危険なところもあり、遺構もあまり残っていないので、訪問はお薦めしません。
まず、iPhoneアプリのGeographica(https://geographica.biz/)で記録したトラックを示します。
神社の東に付いているコンクリート舗装の道から入っていきます。
しばらく道なりに進みます。
沿道に畑や畑の跡が続きます。
途中から草木が生い茂っていますが、これでもまだコンクリート舗装が続いています。このあたりから左にカーブして、
近くから水が湧いている場所があり、このあたりから地面はぐちゃぐちゃです。草木の茂り方もどんどん激しくなりますが、道なりに進みます。すると、
開けた平坦な場所に出ますが、正面は尾根の斜面でふさがれています。ここで写真手前の左端から下に降りていきます。
写真ではわかりにくいのですが、真ん中あたりを降りていくと奥の方に道が続いています。
クマザサに行く手をはばまれますが、奥に見える倒木のほうへ道が続いているので、かき分けて前進します。
これが先ほど奥に見えていた倒木です。もう少し進みます。
少し開けた場所に出ました。次は右手(おおむね南)の斜面をどこでもいいので登ります。
写真奥に向かってとてもゆるやかに登っている、ほぼ平坦な場所に出ます。奥に大きな尾根が見えるので、そちらへ向かいます。
ここは、この斜面を登って尾根筋に出るか、左からトラバースしていくか、選ぶ場面です。今回はトラバースしましたが、少し大変でもここを登った方が安全だと思います。
これがトラバースするルート。かすかに道が付いているように見えますが、見るからに危険ですね。帰り道では少し滑って落ちそうになり、焦りました。
トラバースを終えて、このあたりが尾根筋。斜面はゆるやかです。左手(東)のほうへ降りていくと、
木々がまばらになっていきます。さらに進むと、
突然、広々とした、不思議な空間が広がります。ここが城跡か、と思ってしまうところですが、宮坂武男『信濃の山城と館 第2巻 更埴・長野編』(戎光祥出版)によると、ここは焼き場と耕作地であったとのこと。宮坂先生も最初はここを城跡だと思っていたそう。
南を向いて撮影しているこの写真の真ん中より少し上、少し左側に、
石組みと石像があります。前掲書によると観音像とのことですが、私には判別がつきません。左右に刻まれている文字は「文政壬午年 八月」でしょうか。
さて、目指している城郭は焼き場跡から東方に見える尾根の上にあります。
適当に登っていくと、
腰郭にも見える削平地らしきものがあり、その先に、
郭が二つあります。『信濃の山城と館』では手前を6、奥を5とナンバリングしています。この郭に登って尾根筋を進みます。
こういう細い土橋を怖い思いをしながら嫌になるほど歩いて(といっても100メートルもないと思いますが)、少し斜面を登ると、
主郭と思われる広めの平地が現れます。特に遺構らしきものは見当たりません。
この先、道は二つに分かれ、右を選ぶともう一度、土橋を渡り、
小さな郭があり(『信濃の山城と館』で4とナンバリングされている郭)、この先に、
小さな腰郭らしきものを2段ほど見つけました。
樹間からは荻久保の集落が見えます。
主郭から左の道を行くと2、3の郭があるのですが、今回は遠くから眺めるだけで引き返しました。
報告は以上です。
以下、おまけ。
焼き場跡にはもう一つ気になるものがありまして、
石像の正面方向にある土を盛ったような地形です。このブログの他におそらく唯一、猿丸城についてとりあげているブログの記事(「山城めぐり」https://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi/e/9b2ccdf47b4ba87aedd74ec195bc0024)では、「古代墳墓遺跡ではないでしょうか」と指摘されています。
少しネットを検索してみると、昭和12年に出版された藤井尚治『国史異論奇説新学説考』(日本書荘)という本の「猿丸太夫は道鏡か」という章に、
長野県上水内郡戸隠村大字豊岡字猿丸区と云う処にも猿丸太夫の遺跡があり、墳墓がある。(中略)更に其突出した三方懸崖の突場を猿丸城と呼んで居り、今でも本丸趾もあれば、茶屋池も残って居おり、蔵屋敷の名残もあれば、また殿屋敷、家老屋敷などの小名も、その突端部にそれぞれ残って居る。そして土地の人は、これも猿丸様の城だと云って居る。
と述べられています。
これが猿丸太夫の墳墓と言われていたものなのでしょうか。
城跡の近くに古墳があるのは珍しいことではありませんが。
ちなみに、宮坂先生も参照している『長野縣町村誌』( 昭和11年、長野県)には
【猿丸太夫宅跡】東西十間、南北二十間、村の巳午の方字猿丸城にあり。往事正徳の頃迄は残礎尚存せしを、追々開拓し方今は畑地となる。亦瓢形の石あり、長一尺六寸、囲大なる所二尺八寸五分、細き所一尺五寸五分、頭の方損したり。此石猿丸太夫所愛の石なりと言伝ふ。今諏訪社の椽の下に秘め置けり。
との記述があります。
人里に近い方の林の中でイノシシのものとおぼしきフンを見つけました。
飯田城(長野県白馬村神代飯田)
宮坂武男『信濃の山城と館 第7巻 安曇・木曽編』(戎光祥出版)に「今では山深い所に忘れられたようにあるが安曇地方を代表する城の一つとしてあげられる城と言えよう」とあります。
ネットを探すと東の秋葉神社から入って稜線をたどり、秋葉山砦を経由する道筋が紹介されているのですが、詳しい情報がないので行ってみました。
いつものごとく、iPhoneアプリのGeographica(https://geographica.biz/)で記録したトラックを示します。2枚のスクリーンショットを1枚にしてあります。
神社への道がわからなくてさまよったあげく、ほとんど直登してしまいました。神社に到着してみると南側に延びる道が。上の地図でGの地点が本当の登り口になります。ここではあくまでも道案内になるよう、Gの地点から紹介していきます。
ここがスタートになる地点。国道148号から旧道に入ってJR大糸線の下をくぐります。
くぐった先で沈砂池の堰堤に突き当たるので、右折して堰堤沿いに北に向かい、さらに突き当たったところで西に曲がります。少し登ると、
神社の鳥居があります。ここからはつづら折りの道をひたすら上っていきます。
神社に到着。この裏から尾根筋を登っていきます。
神社の裏にはNHKのテレビアンテナがありました。さて、登路は、
こんな感じです。初めはゆるやか。登り始めてほどなく、
堀切りが現れてここから秋葉山砦。
次々に現れる堀切を越えて、少しきつい傾斜を頑張って登ります。
なにかのアンテナを右に見つつ、さらに登ると、
初めのピーク、1013.6メートル三角点に着きました。
さっきから写真を見ていておわかりでしょうが、クヌギかなんかの木が地を這うようにはえていて、行程中ずっと苦しめられます。
ここから先も起伏はゆるやかなんですが、とにかく木の枝がうっとおしい。「藪漕ぎ」ならぬ「木漕ぎ」のおもむきです。まあとにかく、わしわしと進んでいくと、
たぶんここらが二重の堀切で、ここから飯田城。
前掲書によると、これは堀切というより、ここの郭の横堀で、延長100メートルに及ぶそう。
少し下るように進むと、
飯田城主郭のある稜線が目の前に。
これもどこから取っつけばいいのかよくわからなくて適当に登りました。
まず目につくのが、
きれいな横堀。写真だとかなりわかりにくいですが。
前掲書でいうA地区のほうへ行きました。
きれいな二重の堀切。
こんなにきれいに二重堀切が見えるのは珍しくて、つい何枚か撮ってしまいました。
小さな郭がたくさんあります。
主郭。何もないですね。
報告は以上です。
以下はおまけ。
山中ではニホンジカのものらしきフンをよく見ました。
GとSを結んでいる道は松本市と新潟県糸魚川市を結ぶ千国街道の一部だそう。
庚申塚もある。
古城(長野県長野市戸隠宇和原)
今回も宮坂武男『信濃の山城と館 第2巻 更埴・長野編』(戎光祥出版)を参考にしながら歩いていきます。iPhoneをバッテリーがへたりきった6SからXRへと機種変更したので、しっかり写真を撮りました。
まずはiPhoneアプリのGeographica(https://geographica.biz/)で記録したトラックを示します。
ほとんど登りはありません。左上のGから入って時計回りに進みます(Sと重なってしまいました)。
入り口はこんな様子。右手に城郭を見ながら進みます。
注意して見ていると主郭と二の郭の間の堀切が見えます。道なりに進んで城郭南側に回り込むと、
登り口があります。
10メートルほど登ると城郭の上に出ます。ちょっと先に土橋が見えています。
土橋の上。
けっこうしっかりした堀切です。
渡ると三の郭。写真奥に主郭との間の堀切が見えていますね。
大きな堀切が待っていました。これを降りて登ると主郭。
登ったところから主郭を見ています。左曲がりの三角形の底辺あたりにいます。お楽しみはここから。
主郭と二の郭の間に二重の堀切です。堀切と堀切の間の土塁の上から撮っています。いいですね。多重の堀切は好きです。
二の郭です。このまま進んでいくと、
急な斜面を降りて四の郭とされる狭めの削平地に出ます。前掲書によると二の郭とこの四の郭の間にも堀切があるはずなのですが、はっきりしません。
宮坂武男先生は「堀や土塁が非常によい形で残されているので、大事にしたい城跡である」と記していますが、宮坂先生が記録したのは平成12年。この堀切に限らず、かなり埋まってきているのだろうと思います。
報告は以上です。
高城(長野県長野市戸隠宇和原)
長野県戸隠の城跡については、特にらんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~、山城めぐり(兄弟ブログ biglob) に貴重な現地の情報が掲載されていますが、高城についてはほかでも見当たらなかったので訪れてきました。
ただし、山頂付近でいきなりiPhoneのバッテリーが切れてしまい(残り30%くらいあったのに。下山後すぐに新しい機種を予約しました)、完全な情報ではありませんが登路を報告しておきます。
まずはiPhoneアプリのGeographica(https://geographica.biz/)で記録したトラックを示します。
S(スタート)の林道入り口付近のスペースにクルマを置きました。このまま尾根をたどっていけそうですが、宮坂武男『信濃の山城と館 第2巻 更埴・長野編』(戎光祥出版)に「貯池の右手の尾根通しに登るのが最もわかりやすい」とあるので、安全そうなこちらを選びました。
いきなり藪ですが、少し漕いでいくと道が現れます。
登っていくと右手に尾根が見えるので、そちらへ向かっていきます。
尾根を登っていくと大きな倒木がありました。右側は崖なので左側から乗り越えます。
さらに登ると大きな岩。標高1050メートル付近です。
宮坂武男先生の前掲書ではこの付近の狭い平地を「大手筋の関門であろう」としています。
このあたりから斜面がどんどんきつくなります。
ほぼ四つんばいになってがんばって登ります。
山頂手前にたどりつきます。宮坂先生の前掲書ではここの2か所の平地に5,6の番号を振って、ほかに比べて「少し広いので、これを主郭とする見方もできる」としています。
ここでバッテリーが切れました。モバイルバッテリーにつないでもだめで、復活したのは約2時間後でした。
この先にもう一つ急な斜面があってその上が頂上です。
報告は以上です。